コロナ禍も明け、日豪間の行き来も自由になり、最近は日本でセミナーや面談する機会も増えてきましたが、その際、意外にもゴールドコーストは誰が作った?ということをご存知でない方が多く、そのことは非常に大切なポイントですので、改めて、ここで簡単にゴールドコーストの発展のきっかけを案内します。まず、ゴールドコーストは誰が作った?という点ですが、これはズバリ日本企業です。過去にあったバブル期、つまり当時成長がうなぎ上がりの日本経済を背景に、日本企業は潤沢な資金を有してオーストラリアに不動産投資をしました。オーストラリア政府(外資審議会)の資料によると1988年単年度のみで当時の価値で約6,000億円が投資されたと記録されています。驚くべきことに、そのうちの3,000億円程はクィーンズランド州の観光インフラ関係に向けられており、その殆どの資金がゴールドコーストのホテル、ゴルフ場、マリーナ、リゾートレジデンス開発に一気に投資され、その結果、もともと小さな避寒地だったゴールドコーストは豪州国内最大のリゾート地として生まれ変わりました。残念なことにバブルが弾けた後、観光インフラは全て内外の開発業社に売却され、200社ほどあった日系企業はほぼ全社撤退してしまいましたが、日本企業のゴールドコースト発展に対する功績は大きく、今でもゴールドコーストに長くいる住人は「日系企業がこの観光インフラを開発してくれなかったら今のゴールドコーストはなかったね」と言ってくれます。その時の名残りかもしれませんが、オーストラリア国内において日本語を学習する学生が多いのは今でもゴールドコーストがダントツでナンバーワンです。今度、ゴールドコーストにいらした時にどれをどの会社が開発、所有していたのか調べると現在のチャイナマネーを凌ぐ巨額な投資をしていたのだな、と感心するのではないかと思います。
*ゴールドコーストの古い街並みがGold Coast Bulletin誌で見ることができます。こちらをクリック