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パプアニューギニアの旅で感じたこと【第二話】

次の目的地ラバウルのあるニューブリテン島は、首都ポートモースビーから飛行機で1時間ちょっと北に飛んだところにあります。ラバウル空港はとても小さな空港で、これは1994年火山の大爆発がありラバウルという街自体が完全に灰で埋まってしまい、オリジナルの空港をこちらに移したからだそうです。
若い方にはなじみがないと思いますが、太平洋戦争中活躍した、ラバウル航空隊のヘッドクォーターがあったところで、一時は9万人からの日本兵が駐屯していたそうです。ここから、ポートモースビーを攻めるために出発した日本の南海支隊1万3千人は、深いジャングルと山の中にココダトラックという有名な道を作って島を縦断しながら、連合軍と戦闘を続け、モースビーを目前に、急遽撤退を決めます。再びココダを戦いながら戻るというすさまじい行軍を行い、補給路を絶たれ、食料も銃弾もなくなった日本軍はほぼ全滅してしまいます。(実際飛行機の窓からジャングルを見下ろすと、なぜ、こんな山と濃い緑のジャングルの中を大砲や機関銃を持って戦いながら歩いたのだろう!と思います。)
もちろんこれだけでなく、太平洋戦争の舞台となったニューギニア、ガダルカナル、そしてやがてはグアム、サイパン、硫黄島、沖縄では1942年から3年あまりで連合側も日本も大変多くの軍人、地元の住民の犠牲者を出しました。つらい、悲しい思い出のつまったラバウルでしたが、戦争にまつわる色々な場所に伺い、また、亡くなった方を慰めるために立てられた慰霊碑にも伺い、お花と日本酒を持ってお参りをしてきました。
【戦没者慰霊碑】
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【慰霊碑にあったメッセージ】
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【慰霊碑の横にあったお墓】
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【ミュージアムにあったゼロ戦の破片】
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私は今まで、全くこういったことに関し知識が無く、とても恥ずかしく感じました。今回は本を読みインターネットで検索し、更には実際に、戦争で亡くなった方にお参りが出来、小さなお礼も言えたことは私の人生観を変える体験となりました。

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